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プラトン名言集

プラトン(前428-前348)はギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子。名門の出であり政界への志を抱いていたが、現実の政治に絶望し哲学に専念した。前387年、アテネ郊外に学園(アカデメイア)を創設した。プラトンは自己の対話篇のほぼ全てにおいて主人公をソクラテスとしており、ソクラテス自身は一冊も書物を著さなかったため、両者を哲学において区別することは困難である。

 

 

われわれがこの世に生を享けたのは自分一人のためではありません。われわれの祖国や両親や知友たちが、またわれわれの生に与えられた境遇が、われわれを呼び求めているのです。
R.S.ブラック『プラトン入門』


「人間達よ、汝らのうち最大の賢者は、例えばソクラテスの如く、自分の智慧は、実際何の価値もないものと悟ったものである」
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』


もし私が滅ぼされるとすれば、私を滅ぼすべきものはこれである。それはメレトスでもアニュトスでもなく、むしろ多衆の誹謗と猜忌とである。それはすでに多くの善人を滅ぼしてきた、思うにまた滅ぼして行くであろう。私がその最後だろうというような心配は決して無用である。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』


思うに、死とは人間にとって福の最上なるものではないかどうか、何人も知っているものはない、しかるに人はそれが悪の最大なるものであることを確知しているかのようにこれを怖れるのである。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』


彼(オリンピアの勝者)は諸君を幸福であると見えるようにするだけであるが、私はそうあるようにさせる。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』


魂の探求なき生活は人間にとり、生甲斐なきものである。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』


死を脱れることは困難ではない、むしろ悪を脱れることこそ遙かに困難なのである、それは死よりも疾く駆けるのだから。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』



人は子供を産ませるようなことをしないか、それとも、その扶養と教育とに伴って来る困難を堪え忍ぶか、どちらかにしなければならないのだ。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』


多衆というのは軽率に人を殺すかと思えば、また、何らの熟慮なしに、出来るならばこれを蘇生して見たいなどと考える連中なのだ。
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』


神様は、快と苦が争っているのを和解させようと望まれたが、できなかったので、かれらの頭を一つに結びつけてしまわれた。このために、一方がだれかのところへやって来ると、その後で他方もまたついてくるのである。
プラトン『パイドン』


本当に哲学にたずさわっている限りの人々は、ただひたすらに死ぬこと、そして死んだ状態にあること、以外のなにごとをも実践しないのだが、このことに恐らくは他の人々は気づいてはいないのだ。
プラトン『パイドン』


すべての人の魂は、なにかに激しい快楽や苦痛を感ずると、それと同時に、もっともそういう感覚を与えるものこそもっとも明白でもっとも真実である――本当はそうではないのに――と思い込まされる。
プラトン『パイドン』


人間嫌いが人の心に忍び込むのは、人間についての心得もなしにある人を盲信し、その人がまったく真実で健全で信頼に値すると考えた後に、しばらく経ってからその当の人が性悪で信頼に値しないことを発見することから始まる。
プラトン『パイドン』


非常な善人も非常な悪人もともにごく少数で、大部分の者はその中間にある。
プラトン『パイドン』



尤もらしさによって証明を行っているような言論はペテンである。
プラトン『パイドン』



もしも魂が不死であるならば、われわれが生と呼んでいるこの時間のためばかりではなく、未来永劫のために、魂の世話をしなければならないのである。
プラトン『パイドン』


言葉を正しく使わないということはそれ自体として誤謬であるばかりではなくて、魂になにか害悪を及ぼすのだ。
プラトン『パイドン』


快楽に負けるとは何を意味するかというと、それは結局最大の無知にほかならない。
プラトン『プロタゴラス』


反駁を受けることのほうが、より大きな善であるとわたしは考えているからです。それは、自分自身が最大の害悪から解放されるほうが、他の人をそれから解放するよりも、より善いことであるのとちょうど同じ程度に、そうだからです。
プラトン『ゴルギアス』



不正を行なうか、それとも不正を受けるか、そのどちらかがやむをえないとすれば、不正を行なうよりも、むしろ不正を受けるほうを選びたい。
プラトン『ゴルギアス』


不正を行なっている者や、不正な人間は、どっちみち不幸だけれども、しかし、不正を行なっていながら、裁きも受けず、罰にも処せられないなら、そのほうがもっと不幸であり、それに比べると、神々や人間たちによる裁きを受けて、罪の償いをするなら、その者の不幸はまだしも少ないのである。
プラトン『ゴルギアス』


世の大多数の人たちがぼくに同意しないで反対するとしても、そのほうがまだしも、ぼくは一人であるのに、ぼくがぼく自身と不調和であったり、自分に矛盾したことを言うよりも、ましなのだ。
プラトン『ゴルギアス』



魂が正しい生活を送っているか否かを充分に吟味しようとするなら、ひとは三つのものを――つまり、知識と、好意と、そして率直さとを、具えていなければならない。
プラトン『ゴルギアス』


善があらゆる行為の目的であって、その善のために、他のすべてのことはなされるべきであるが、その他のことのために、善がなされるべきではない。
プラトン『ゴルギアス』


幸福になりたいと願う者は、節制の徳を追求して、それを修めるべきであり、放埒のほうは、われわれ一人一人の脚の力の許すかぎり、これから逃れ避けなければならない。
プラトン『ゴルギアス』


だれ一人、不正を行なうことを望む者はなく、不正を行なう者はすべて心ならずもそれを行なう。
プラトン『ゴルギアス』



不正を行なう自由が大いにある中で育ちながら、一生を正しく送り通すということは、むつかしいことであるし、したがって、それは大いなる賞賛に価する。
プラトン『ゴルギアス』


ひとは不正を受けることよりも、むしろ不正を行なうことのほうを警戒しなければならない。また、ひとは何よりもまず、公私いずれにおいても、善い人と思われるのではなく、実際に善い人であるように心がけなければならない。
プラトン『ゴルギアス』



生きるのも、死ぬのも、正義やその他の徳を修めながらにするという、この生活態度こそ、最上のものである。
プラトン『ゴルギアス』


不正の極致とは、実際には正しい人間ではないのに、正しい人間だと思われることなのです。
プラトン『国家(上)』


哲学者とは、つねに恒常不変のあり方を保つものに触れることのできる人々のことであり、他方、そうすることができずに、さまざまに変転する雑多な事物のなかにさまよう人々は哲学者ではない。
プラトン『国家(下)』


およそ狭量な精神というものくらい、万有の全体を――神的なものも人間的なものも――つねに憧れ求めようとするほどの魂と、正反対の性格のものはない。
プラトン『国家(下)』


払った労苦もみな水の泡ということになれば、最後には、自分が嫌になるとともに、そういう仕事を憎むようになる。
プラトン『国家(下)』


恵まれた好条件と一般に言われているもののすべてが、堕落と逸脱の原因となる。
プラトン『国家(下)』


最善の自然的素質に恵まれた魂は、悪い教育を受けると、特別に悪くなると言うべきではないだろうか? それとも君は、大それた悪事や完全な極悪非道というものが、凡庸な自然的素質から生み出されると思うかね?
プラトン『国家(下)』


過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はないもののようだ。
プラトン『国家(下)』


物事が正しく判定されるためには、何によって判定されなければならないだろうか。経験と、思慮と、言論(理)によってではないだろうか。 
プラトン『国家(下)』


苦悩を想い起させてはわれわれを歎きへと導き、飽くことなくそれに耽ろうとする部分は、非理性的にして怠惰な部分であり、卑怯未練の友であると言うべきではないだろうか。 
プラトン『国家(下)』

 

 

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